〜自然暮らしを探究し 喜びを謳歌し拓きたい〜
PROFILE
堀田健志(ほった・たけし)
TABLENOTE・プロデューサー
1978年11月19日 東京生まれ。幼少期より宇宙的で神秘な音に関心を持ち、やがてシンセサイザーを奏で始める。20歳よりプロミュージシャンとして仕事を始め、28歳でチャクラをテーマにしたソロアルバム [7Chakra] をリリース。「宇宙意識へ導く音の芸術を追求したい」とフィロソフィーを熱く語る。信州軽井沢をこよなく愛し、移住を含め幾度と訪れている。
Introductory chapter
本稿は第1話として、TABLENOTE [テーブルノート]を立ち上げ、サイト名の名付け親でもあるプロデューサーの堀田健志氏に、リレーインタビューをスタートさせた経緯、軽井沢のこと、メディアとしての未来の展望などに至るまで様々にお話をお伺いしました。
Interview : LEEN STUDIO
2017年1月23日 取材
軽井沢 WOODSTOCK へ
—— 本日はどうぞよろしくお願いします。
堀田: こちらこそ宜しくお願い致します。
—— まず最初に、TABLENOTEではじめて堀田さんを知る方へ、簡単な自己紹介をお願いします。
堀田: 堀田健志(ほったたけし)と申します。1978年11月19日、東京生まれ。星座は蠍座のA型です。
—— 現在のお仕事は?
堀田: 長年続けている音楽家と、現在はウェブメディアのサイトオーナー・プロデューサー業です。SEOコンサルタントとして企業のメディア事業部を任されることも多くなりました。
—— 音楽とIT。自由の翼の代名詞のようなご職業ですね。
堀田: 確かにそうですね(笑)
けど、音楽家としては、長く厳しい下積み修行時代を経験しました。
はじめて軽井沢に訪れたのも、音楽家の卵として、アシスタント修行時代のウッドストックスタジオでのレーコーディング合宿でした。
—— 初めての軽井沢がレコーディング合宿?
堀田: 1997年頃だから、18歳の時。
第一線で活躍する音楽家の師匠が中島みゆきさんのレコーディングに参加しており、軽井沢合宿にお供することになりました。
—— 軽井沢のどこのレコーディングスタジオでしょうか?
堀田:信濃追分の深い森の中にあるWOODSTOCK(ウッドストックレコーディングスタジオ)です。
超一流ミュージシャンと最高峰のレコーディングエンジニアスタッフが世界中から一同に軽井沢へ集い、毎日、素晴らしい音楽演奏を生で肌で感じることができました。
10日間ほどの滞在で、素敵な体験になりました。
はじめての軽井沢、喜びの始まりです。

軽井沢 WOODSTOCK(1997年)
—— 最初の軽井沢は音楽家の卵としての訪問だったのですね。素晴らしい体験ですね。
堀田: WOODSTOCKは素晴らしい宿泊施設、ダイニングキッチンから見える深い森に包まれたレコーディングスタジオで、音響も機材も、全てが時代の最高峰を結集した夢のレコーディングスタジオでした。
—— 安心して長期滞在できる大型合宿スタジオ。羨ましいですね。
堀田:本当にそう思います。
明け方、隣接する宿泊施設でまだ誰もが寝静まっている頃、中島みゆきさんはスタジオのロビーのアップライトピアノにそっと指を置いて、作曲の続きをされてました。
幻想的で、美しく、追分の森に静かに響くみゆきさんの旋律と奏でに、軽井沢の木洩れ陽が優しく影を落とし、深く真剣に芸術と向かい合うその光景を見た時、人生の何かが決定した気がしました。
そう、その時から人生の1つの目標が「軽井沢に移住して、スタジオを持つこと」になったんです。
—— 軽井沢の森に、みゆきさんの奏でる歌とピアノ
堀田:それは言葉では伝えれらないほど激しい感動であり、同時に信じられないくらいの深い安堵に包まれるものでした。
激しさと安堵が同時に共存できるのは、軽井沢の自然環境が成せる1つの魅力だと思います。
高い標高にあり、澄んだ空気、清らかな森と爽快な緑に、可愛い草花。
それらの全てが高度に融合されている軽井沢は、芸術家の繊細な感性をさらに研ぎ澄ましていくように思います。
けど、、、
—— けど???・・・
堀田:夜はミュージシャンの皆で、汗だくにひっくり返るまで本気で卓球に燃えたり(笑)
仕事の後は、深夜までアシスタント達がスタジオを占拠して演奏バトルしたり(笑)
数億円もするコンソールや高級音響機材で勝手に自分の作品を作り込んでたり(笑)
もう本当に楽しくて!
—— 10日間ではあっという間に時間が過ぎてしまいそう(笑)
堀田: ええ。。楽しい時は一瞬で…本当にいつまでも軽井沢に居たいと思いました。
そして知ってしまったんですね。
師匠はゴールドディスクを受賞しているアレンジャーでしたので、その4年間のアシスタント下積み時代に、都内の大型スタジオには殆ど同行していました。
そして、東京で音楽を創作するのと、軽井沢で創作するその “違い” に早くも気づいてしまったのです。
—— 音楽創作を東京と軽井沢でする違いは?
堀田: 東京は閉鎖的な地下コンクリートスタジオ、軽井沢はスタジオ内にも木洩れ陽が溢れる自然豊かな空気の良いスタジオです。
商業的な音楽産業の中では、分刻みのワークフローを中心としており、リリース日が決まってから音楽制作始めるほどタイトなのです。業務的には、そのタイトな時間で完成に導くには東京のスタジオは良くも悪くも、ワークフローとして徹底されているので必要不可欠です。
しかし、真に深く “音と芸術” に向き合いたい場合は、僕は軽井沢という選択をしたいと思っています。
軽井沢WOODSTOCKスタジオで経験させていただいた感動は、音楽家としてではなく、芸術家という言葉がふさわしく響きます。
「自分の将来は軽井沢にある」
と、18歳にして確信に至ってしまうのです。
そして自分の最も尊敬する芸術家の一人、武満徹氏も、近くの御代田町に住んでいたことも知り、もう信州への移住は必然のように思えていました。
軽井沢 移住計画
—— 若くして軽井沢への将来を考え始めた。
堀田: はい。「どうやったら軽井沢への移住が成功するのか??」と、ほぼそれしか考えられなくなってました。
—— 愛する軽井沢を将来の拠点に選ばれた若きエース18歳は、その後どのように計画を実行に移したのでしょうか?
堀田: とにかく、軽井沢移住を決心したものの、同時にすでに音楽家としてプロになるという決意と覚悟もありました。
自身の音楽家としての成功の暁に、WOODSTOCKスタジオのような住居とスタジオを併設しながらもセパレートした施設を建て、思いっきりクリエイティブ活動に専念したいというのが、最終目標ゴールにブラッシュアップされました。
—— なるほど。音楽家として成功した先にご褒美の軽井沢スタジオがある。とても素晴らしいですね。
堀田: なのでやっぱり、先ずは音楽家のプロになって、次に、軽井沢への道が開けると思ってました。
音楽家としての活動

浜崎あゆみさんのライブサポート演奏
—— それでは堀田さんの音楽活動にもお話をお伺いさせてください。アシスタントを終え、プロの音楽家としてお仕事は順調にいきましたか?
堀田: ご縁の繋がりのおかげで、なんとか25歳頃には既に音楽一本で生計を立てられるまでになってました。
—— 音楽のお仕事とは具体的に??
堀田: 音楽の仕事は主に、TVCM、ドラマ、ファッションショー。そして瞑想から住宅モデルハウス専用の音楽まで幅広く作らさせていただきました。
最近では、ポッドキャスト、YouTubeの音楽制作も増えてきました。
—— スーパーマーケットのBGMを想像してはいけませんね(笑)
堀田: “シネマクラス”とか “CMクラス” と言われるものが最高峰の音として称されるのかなと思い、そのフィールドに取り組んでいます。
もう1つは、ライブ演奏もお仕事して演奏することがあります。様々なアーティストのバックでのキーボードやピアノ演奏ですね。
1万人規模でのステージで有名な方で言えば、浜崎あゆみさん。著名な方だとBOOWYの松井常松さん、lynchの葉月のソロなどでも弾かさせていたきました。
—— 日本のトップアーティストですね。
7Chakra
—— 個人名義でCDリリースもされてますが、これは音楽家としてお伺いした2つのお仕事には含まれないようですが。
堀田: 個人名義でのCDリリースを仕事かどうか?と言うと…ライトワークでありたいと、そう位置付けした作品に考えてます。
お仕事には、ライスワーク、ライクワーク、ライフワーク、ライトワーク、ラストワークという、カテゴリーで考えることがあるのですが。
例えば、ライスワークは、生きるために必要な現金収入を得るお仕事で、ライスワークは趣味が仕事に昇華したもの。ライフワークは生涯務める属性であり、ライトワークをそれらの基盤が出来上がって初めて他者に貢献できるフェーズで、ラストワークは人生を完成させる作業です。
—— 分かる気がしますよ。
堀田: そうですか(笑)ありがとうございます。
——堀田さんの描く「ライトワーク」とは具体的に?
堀田: 僕の場合、「意識を宇宙に向けるお手伝い」かな。
個人名義の作品リリースは、すべてライトワークにしていきたいのです。
ライトワークは自己出資ですので、完成したのに売れないと困るレコード会社もいないので、損得を勘定せず、人類への貢献の度合いを測ることに専念できます。
現在もちろん全曲無料配信して、聴けるようにしてあります。

TAKESHI HOTTA / 7Chakra
IT事業への発展
—— ウェブメディア事業も手がているきっかけは何でしょうか?
堀田:はい。最初のきっかけは…。
瞑想をする時にまず、月の暦を調べたりするのですが、2007年当時は、新月や満月の時刻をインターネットで検索しても、日時や時刻までは、ちょっと見つけづらかった。
なので、月齢の暦を知りたい自分のために、コラム形式で新月と満月の時刻表を書いて公開したら、「満月」というビッグキーワードでGoogle検索の1位を取ってしまい、そこからサーバーが落ちるほどの膨大なアクセスが訪れました。
在庫が無くなってしまったのですが、それでも、検索からのアクセスは止まらない。この知りたいニーズに対して回答するというシンプルな構図が、ウェブメディア事業がはじまった原型でありきっかけですね。
現在も「次の満月」って検索したら、もしかして検索上位かもしれませんね。
—— 在庫切れになって売るものがなくなったから広告を貼ったら広告収益が発生した?
堀田:はい。仕組みとしてそうですね。
もっと詳しく言えば…そもそも、CDを販売するにあたり、インターネットのみで届けたいという意思決定は最初からしてました。
自分の作品を届けるその最後まで、全てのワークフローを一度自分自身でやりたかったのです。
—— 全てのワークフローを本当にできるものなのでしょうか?
堀田:なぜか自分でやることに、最初は拘りました(笑)
作曲からCD発送まで。ここまでは一人でもなんとかできましたよ。
—— Amazonで販売する方も多いと思いますが?
堀田:そうですね、自分でサイト制作までする人は、参考にできる人も全くいなかった状況でしたから、全てが手探りでした。
—— まさに先駆者。しかし肝心のCDは実際にネットで売れたのでしょうか?
堀田:はい。先ほど申した通り「満月」。他にも「新月」「チャクラ」の検索キーワードで長期間Google検索1位を取得してましたので、コラム記事からCDサンプルをご視聴された方々が続々とネットでCDを購入してくださいました。
多い日で1日40枚くらい売れて。CD梱包や、発送伝票書いて1日が終わった気がしますけど、ニーズのある方々にお届けすることができたと思います。
—— 必要としている人しか検索しないですからね。
堀田:検索エンジンからのアクセスは今日現在でもまだ続いてますが、”検索アルゴリズムの解析” を洞察して攻略していくことは、実はけっこう好きでした。
SEOって言うこの手法において、コンサル依頼が2014年から振り切れないほどたくさん来るようになってしまい。
—— 自由の翼を得たノマドワーカーの誕生ですね。
堀田:Web検索、YouTube内検索、音楽サブスクリプション内検索もそうですが、「検索」という現代のツールは、その回答によってある意味人類に大きな影響を与えていますよね。
けど、シンプルなテクニックで検索順序は上位を狙えます。なので、いづれ飽和するし、グーグルの検索上位になるように沿ったアルゴリズムライティングした記事制作。そんな潮流を生むことを危惧しています。
検索上位表示狙いで、縛られた記事骨子などではなく、あくまで本質を追求するメディアとして、コンテンツを制作していかなければならないと思って、そこから発想し考えたのが「リレーインタビュー」というものでした。
最初の軽井沢への移住

最初に移住した軽井沢コスモスの丘 K棟
—— 音楽とウェブメディアの成功で、目標だった「軽井沢移住」が現実的に見えてきたのでは?
堀田:はい。最初の軽井沢移住は2010年8月、30歳の時でした。まだウェブメディア事業は始める前でした。
—— 30歳で軽井沢移住は若いですね。
堀田: そうですね。しかし、18歳で目標にしてたので、12年経過してて自分では遅いと思ってます。
—— 実際、最初の軽井沢移住は、成功したのでしょうか?
堀田:結論から言うと、最初の軽井沢移住は大きく失敗でした。
—— え? 12年間も軽井沢への移住計画の構想を練っていたのに移住に失敗した??
堀田:はい。そうです。失敗しました。
リゾート別荘を賃貸で借りたのですが、結局まだ仕事が東京という。
さらに、自然暮らしを実際にすることと、想定することは、全く違い過ぎました。
—— 意外としか言いようのないご意見ですが、軽井沢への移住を失敗してしまった理由もお聞きできますか?
堀田:はい。もし自分の移住失敗談が、誰かの役に立つことに繋がるのであれば、お恥ずかしながら喜んでお伝えしたいと思います。
今でも己の失敗を改善する日々ですよ。
—— これから軽井沢への移住を考える読者の方々には、きっと参考になるかと思います。
WHOの定義
堀田:移住の失敗を説明しようと思うと、頭に浮かぶのはWHOの健康の定義です。
また、正直、軽井沢にいきなり移住するよりも、隣町の御代田町の方が最初の移住や定住に適しているのかもしれません。軽井沢は別荘というカラーが濃いですからね。
自分も生活インフラ的に御代田町にかなり救われています。都会人ほど佐久平の方なのかも知れませんが。
—— WHOの健康の定義をお伺いしても良いですか?
堀田:はい、人が健康で幸福を感じられる状態とは…
肉体的、精神的、社会的、この3つ条件が安定することとWHOは言われてます。
自分もこの概念には同意で、何か1つでも欠けたら失敗すると、感じてます。
テーブルノートの真の役割
—— 田舎暮らしを知っている人ならお互いに助け合うコミュニテイの感性・助け合うことで成り立つ生活感を知っていることと思います。その社会的要素の地域貢献を探した結果がTABLENOTE [テーブルノート]だったのでしょうか?
堀田: そうです。本当に鋭いですね。
経済的に大きな貯蓄があって軽井沢で裕福に暮らせるとしても、「別荘」なら良いのですが、自分のように「移住」となると、移住者は最初は地域貢献が簡単ではないと思うのです。これはWHOの3つの要素の1つ「社会的要素」で重要です。
移住しても、地域コミュニティへの貢献という実感や精神的に満たされるものがない場合、やがて精神的な疎外感に繋がってしまいます。
—— ええ。間違いなくそう思いますね。
堀田: 正直自分はそれ(地域貢献)を探せずに、失敗しました。軽井沢に居るは居るけど、仕事は東京で、自分の住む町に何も貢献できていない感が、意外と自分を苦しめました。これは全く想定できませんでした。
なので、今は自分が軽井沢できることは何か? ひいては信州全体への貢献を探した結果、ウェブメディア[テーブルノート]を立ち上げ、これから軽井沢や信州へ移住を考えている人に、深掘りした情報をエスコートしてあげたいと考え結論付ました。
まず、軽井沢の生活を影で支える方々にスポットを当てて、リレーインタビューでご縁を繋げて行く必要性を考えました。
僕も一度は、移住者として、自分が無駄に苦しんだ疎外感を味あわせないために、地域の貢献を見つけて探せるメディア、そもそも移住に役立つ暮らしを充実させるメディアを楽しく作りたいと考えました。
テーブルノートは軽井沢へ移住を検討している人々に対して、実際の生活をより詳しく伝えていくことや、何より生活の支えになる情報を提供していくことが役割と思ってます。
それがひいては僕にできる軽井沢町への地域貢献と思っております。
—— テーブルノートの今後展開について教えていただけますか?
堀田: 軽井沢での自然然暮らしを支える専門性の高い方々を、773名を目標にリレーインタビュー取材で繋げることです。
—— 773人!もう長寿番組の笑っていいともですね。
堀田: 僕らは何かを宣伝する必要はなく、より深く楽しめることが大切なので。
テーブルノートはライフワークです。きっとずっと続けていきます。
「地球規模で善に属してるよね」って、そして「良いサイトだよね」って言われるまで無条件に貢献に従事していきたいです。
——それは素晴らしいですね。やはり移住してすぐ暮らしのあれこれの疑問はたくさん生まれてきますからね。
堀田: そう。思いますね。
—— テーブルノートのリレーインタビュー の掲載者様はどのような方々を選んでいくのでしょうか?
堀田: リレーインタビュー はかならず取材の最後で次回のゲストを紹介お願いして、紹介者様の希望象はシンプルに自然暮らし”というテーマで、善に貢献している方。軽井沢で現在暮らしている方で、自然暮らしを影で支えている全ての専門業者の末端の方々まで、リレーインタビュー形式で記事にしていこうと思ってます。
—— これまで誰もフォーカスを当てていなかった影のヒーローまで、紹介でなら繋がっていきそうですね。
堀田: 私自身も全ての取材に同行します。東京生まれ東京育ちで軽井沢へ移住した身として、勉強したいことだらけですから。
自然暮らしと移住を成功させるソリューションとしてのコンテンツを監修をしていこうと思います。
—— 軽井沢への移住を考える方はそれなりに情報収取をされていると思いますが、堀田さんが他メディアで行ってきたようなドリルダウンしたインタビュー記事はまだないでしょうね。町もほっておかないかもしれない(笑)
堀田: はい、継続していくことでしか、存在を証明できませんが。
—— TABLENOTE [テーブルノート]が世界中に広まるといいですね。
堀田: 自然暮らしとスピリチュアリズムの探求で私たちのココロとカラダの未来を切り拓くことが出来ればと思っています。
—— 堀田さんも取材には同行するんですか?
堀田: はい。リレーインタビューは全て取材に立ち会います。カメラも撮りたいし。これからずっとずっと、773人をつなげることを目標としてます。
何年かかるかなぁ〜(笑)
—— 毎月1名でも64年?
堀田: 毎週1名とハイペースでも14年はかかりますね。
ライトワーク
—— 毎回のリレーインタビュー取材時、方向性など、気をつけていくことなどはありますか?
堀田: はい。大切にしている言葉があります。
—— フィロソフィーのようなものですか?
堀田: そうですね。それは・・・
「自然力本願」です。
これは私が愛用しているレイオーディオの尊敬するクラフトマン木下正三さんも大切にされているお言葉ですが。
自然界が人間に破壊される前の本来の状態へ、自然自身が還ろうとする力はとても強いものです。
他力本願という言葉もありますが、私たちは本来その自然の力を見習い、自然界と乖離するべきではなく調和していくべきと考えてます。
自然界にある自然なルールを学ぶことや、その学びを、リレーインタビュー では裏コンセプトとしても伝えていきたいと思ってます。
自然界と一緒に学び、自成長していきたい思いです。
そして人間が精神的に育つ絶対条件は “善のこころ” が宇宙的な意味でも必要になってきますよね。
ラストワーク
—— “善”とても宇宙的ですね。そしてそんな堀田さんの善にまつわるご活動や目標などがありましたら教えていただけますか?
堀田: ピラミッド建築が僕の人生のラストワークです。
それは、天文学的であり、芸術要素を組み込んだ瞑想施設として、人類の宇宙意識の向上のために、ピラミッドを建てたいと思っています。
例えば…「はい、水星を指差して」って言って正確な位置を指させる人は、今ほとんどいませんよね?
—— いま頑張ったけど、無理でした(笑)
堀田: 誰でもそうです(笑)
けど、単純な話、多くの人は星は頭上にあるものだと思っているけど、足の下にも地球の裏側の夜空にも星はありますよね。
こういう360全方位感覚を「やらずにはいられない!」ってよく思います。
これは人類にとって本当に必要と思って貢献したいと思ってます。
—— 軽井沢町への貢献から地球規模への貢献ですが、ピラミッドどの場所をお考えですか?
堀田: それはいまは秘密です!
—— 一般の方でも入れるような施設ですか?
堀田: もちろんです。
—— 最後に読者のみなさまに伝えたいことなど、ありますでしょうか。
堀田: テーブルノートは、「自然暮らしを支える人を支える」
そう思って活動していきたく思ってます。
どうぞ宜しくお願い致します。
次回ゲストのご紹介
—— それでは最後に、TABLENOTE [テーブルノート]のリレーインタビューに次回ゲストとして、自然暮らしと共に善に貢献されていると思う方をご紹介お願いいたします。
堀田: はい。わかりました。
善に貢献しているという意味ではやはり、自分が軽井沢に移住した際に大変お世話になり、不動産事業を営まれております齊木夫妻をご紹介したいと思います。
軽井沢のことには非常に詳しくもう専門家レベルですが、お金だけで不動産事業をしているということはなく、そこに住む人々が軽井沢をクリアに、綺麗な町に、愛のある町に、豊かにしていきたいと真剣に考えながら土地の磁場のことまで考えながら不動産事業として善に従事されているご夫婦です。
—— ご紹介ありがとうございます。住んだその先に町を綺麗にしていく概念は素晴らしいですね。それでは次回、齊木さんご夫婦にインタビューを紡がせていただきます。
堀田: はい!素晴らしいご縁の流れだと思います。
—— それでは最後になりますが、これからのTABLENOTEのリレーインタビュー の発展を祈っております。軽井沢の未来をよろしくお願いいたします。長時間のインタビュー取材をありがとうございました。
堀田: はい、こちらこそ! ありがとうございました。
リレーインタビュー
第2話へ
堀田さんのご紹介により、リレーインタビューのバトンは軽井沢へ不動産事業を営む齊木夫妻へとストーリーは繋がり紡がれていきます。
移住から数年経過しているものの今でもお付き合いがあると齊木さんとはどのような方なのでしょうか?
次話もどうぞお楽しみにご期待・ご覧ください。
編集後記
軽井沢を愛する堀田健志という人物について、誠に勝手ながら考えてみた。
つかみどころのないキャラクターを演じながらも、優しい声と語りかけとは裏腹に、もう一方の芯のある内面が垣間見えるような……
良い意味で人を惹きつける不思議な雰囲気を持つ人である。
話しをする度に知識量、情報量の多さ、アイディアの引き出しの多さ、そして独自の視点で展開されていく話しの面白さの中に、いつも先見の明も感じ取れる。
男社会に生きながらも、芸術やスピリチュアルにも造詣が深く、女性の感性にも共鳴できる貴重な存在。
自然暮らしや、軽井沢の生活に関するものをスッと自分の中に落とし込み、いつも楽しんで聞いてくれる。さすがミュージシャンというだけあり、感性が大変に非常に豊かである。
そんな彼が満を持して皆様にお届けするTABLENOTE [テーブルノート]は、まさにこれから軽井沢暮らし・移住を検討している人々の気持ちを代弁したような情報が詰まっており、大げさかもしれないが、軽井沢待ちの未来を切り拓く鍵を握った総合サイトになるのではないだろうか。
これからのリレーインタビューがどのようなご縁で、ご紹介で、どこに向かっていくのかは誰にもわからない。
しかし自然を謳歌し、軽井沢を愛する人の気持ちに沿うものであることは間違いのないことだと思う。
LEEN STUDIO
堀田健志 関連リンク
|STAFF
取材企画・編集構成・プロデュース:堀田健志
Special THX : All STAFFS, & YOU.
写真:©︎TABLENOTE